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マンチェスター自爆テロ犯Salman Abediの背景。最近リビアから帰って来たばかり!

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追記

5月25日にわかったことですが、この記事で引用した記事はリンク先が同じで少し内容が修正されていたり加筆されていたりしていました。

大筋では変わっていませんが、逮捕された兄のイズマイルがモスクで働いていたことは修正後なくなっています

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これではテロは無くならないなぁと実感しました。

そう思った記事を2つ紹介します。(2つ読んでそう実感したので)

今回と次回2回に分けます。


サルマン 

 やじるし 数年前に撮られたSalman Abedi(サルマン・アベディ)の写真 the guardian


マンチェスターテロ犯はリビア難民の2世だと報道されました。

この件をやんみ!さまが書かれていますが、記事後半の体験談もぜひご覧ください。ネコの肉球

移民受け入れが、国をじわじわと劣化させる様子が見えてきます。ガクブル

 

 

この自爆犯Salman Abedi(サルマン・アベディ)は、最近リビアへ渡航していました。(政府も確認済み)

友人によると、3週間前にリビアへ行って最近戻ってきたそうです。

 

彼の両親(母は50歳、父は警備員)はリビアのカダフィ大佐から逃れて難民として英国にやって来ました。

南マンチェスターに来る前はいったんロンドンに住み、南マンチェスターのWhalley Range地区に10年は住んでいたということです。

 

サルマン・アベディは1994年マンチェスター生まれ、4人兄弟の上から2番目で、反カダフィで結束の固いリビアコミュニティで育ちました

地元の学校に行き、2014年にSalford University に入り、中退するまで経営を学んでいました。

 

兄の Ismail(イズマイル)はDidsbury mosque(ディズベリ―・モスク)のコーラン教室の講師をしていたことがあります。(←これはリンク先記事から削除されています 25・05・2017)

 

2011年にカダフィ政権崩壊後両親はリビアに戻ったと思われています。

アベディのリビア渡航は、ジハーディストとの関連を含めて審査の対象となっていました。

 

カダフィ政権下で非合法だったリビアイスラム戦闘グループ(Libyan Islamic Fighting Group (LIFG))は、アベディたちの住む南マンチェスターのWhalley Range地区付近に住んでいました。

 

その中の一人で、4児の父でもあるAbd al-Baset Azzouz(48歳)はテロリストネットワークを構築するために英国からリビアに渡りました

そして、アルカイダ指導者だったオサマビンラディンの後継者(Ayman al-Zawahiri)の指示を受けています。

Azzouzは爆弾の専門家で、2014年テレグラフのリポートではリビア東部で200~300人の配下を従えているということです。

 

別のメンバーSalah Aboaobaは、2011年のチャンネル4で、マンチェスターでLIFGへの資金集めをしたと述べています。

彼は、アベディも通っていたディズベリ―・モスクで資金集めをしたと言っていますが、モスク側は激しく否定、LIFGなど聞いたこともない、Salahという人も知らないと答えています。

 

ディズベリ―・モスクのイマーム(イスラムの導師)Mohammed Saeed El-Saeitiに昨日聞きました。

「アベディは危険な過激思想家だった。

私がISを悪く言うため私を嫌っていた。嫌悪の表情を浮かべていた。

彼はお祈りのためにモスクによく来たが、私とは親しくないし友達でもない。」

 

アベディの隣人の証言です。

「彼らはリビア人一家で、行動が奇妙でした。

数か月前、アベディは、通りで、イスラム教の祈りの最初の節を本当に大声で、アラビア語で唱えていました。

彼は”神は唯一、預言者ムハンマドはその使者”といっていました。」

 

向かい通りに住む夫婦の証言です。

「彼らはかなりの間そこに住んでいなくて、色々な人たちが出入りしていました

両親はクリスマス前に出ていったと思います。1人か2人の男がそこに住んでいたようです。」

  

家族の友人はこう言っています。

「アベディは非常に信心深かったです。(別の記事でコーランを暗唱して1日5回祈っていたというのがあります)

家族のほとんどがリビアに戻った後も、兄のイズマイルとともに英国に残っていました。

イラクかリビアのとても大きな旗が窓から下がっていました。

でもサッカーか故郷での抗議だろうと思い、何も考えませんでした。」

 

後略

(警察がテロ後捜査に来て玄関を爆破したような証言が続きます。)

 

 

Salman Abedi named as the Manchester suicide bomber - what we know about him

24 MAY 2017 • 2:29AM  the telegraph

 

 

この記事ではいろいろなことを示唆しています。

そのうち一つだけ言わせてもらうと、最後の方、モスクのイマーム、近隣住民たちの証言から犯人は明らかに危険だということがわかります。

それともイギリスではこれでも普通なくらいみんなが変なのでしょうか。

 

イマームは仲間を売ると自分の身も危ないので通報しないのでしょうし、近隣住民もたぶん長年のポリティカル・コレクトネスで、何も言えない状態になっていたのだと思います。

 

例えば、知らない人たちが出入りしているのはムスリムでしょうから、「キリスト教徒も他人の家を訪問するだろう?イスラムフォビアなの?」

 

国旗が飾ってあっても、「故郷が恋しいんだろう。それともイスラム教徒の国はダメなの?差別だよ。」

 

何を通報しても、「イスラムフォビアだ!」 「差別だ!」と言われかねないのです。

そうなるとみんな見てみないふり、見ても考えないように訓練されていきます。

それを積み重ねると、思考が停止するのです。

 

この考えを上手にまとめてくださっている坂東氏のブログ記事を一部引用させてもらいました。

「差別」は当然あるもので悪ではなく、許されないのは「不当な差別」だとしたうえで・・・

一種のイメージ戦略です。
 
こうした言葉のすり替えに気付かずにいると、「不当な差別」という脳の引き出しの取っ手を失い、「差別」という大きな、しかもまぜこぜになっている脳の引き出ししか開けることができなくなります。
 
その結果、考えを整理してもそれを入れ直す引き出しの取っ手を失うため、自ら考え、反論できる脳回路を失います。
  
私は通訳捜査官をしていて痛感しましたが、言葉という引き出しの取っ手を失ったら、おしまいなのです
  
言葉にないものは考えに浮かばないし思いつかないのです。
その単語や言葉を失うと、考えなくなるのです。

 

 これと同じようなことを、以前ナンミンウォッチさまのブログでも書かれていました。

どうやって不法を合法に変えるのか、言葉の定義を変えていく左翼の狡猾さを説明していました。

「用語の闘い」:不法状態を「ノーマライズ」する絶え間ない努力オレタチは「イリーガル」じゃない!

 

 

警察もリビア帰りで検査しているのです。監視対象だったのです。

近所の人たちも異常行動を見ているのです。

 

でも、言葉という取っ手の引き出しを失い、何も考えられない状態になってしまったのです。

 

 

  

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