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欧米が欲得の干渉を止めない限り「イスラム国」を壊滅できてもまた宿主(権力の脆弱地帯)を見つける

「イスラム国」(イスラム・スンニ派の過激派組織)が最近弱ってきているという報告がありますが、これは所詮イスラム過激派の精神の拠り所であって、形が壊れても、別の宿主(=権力の脆弱地)を見つけて、同じようなテロ組織が息を吹き返すと思うのです。

今、イエメンではイスラム・シーア派の過激派が、アメリカのドローン攻撃(無人爆撃機攻撃)に協力していた政権を倒し、無政府状態になってしまいました。
ボコ・ハラム(西洋の教育は罪という名のイスラム・スンニ派過激派組織)はナイジェリアが掃討作戦を行うために選挙を延期させるまでに勢力が大きくなっています。

今日は1つのコラム1つのオピニオンを紹介したいと思います。

記事コラム:イスラム国が人質焼殺映像で得たもの 2015年 02月 10日 ロイター

Peter Van Buren

[9日 ロイター] - 数週間前、世界の大半の人は日本の首相が過激派組織「イスラム国」と戦う国々に対して2億ドルの「人道支援」を約束したことを知っていただろうか。

日本人2人がイスラム国に数カ月間にわたり拘束されていたことを、あるいはヨルダン軍パイロットも拘束されていたことを知っていただろうか。そしてヨルダンが2005年以降、自爆攻撃に関与した国際武装組織アルカイダ系の女性死刑囚を収監していたことを知っていただろうか。

今なら世界中がそうしたことを知っている。イスラム国は日本人の人質2人とヨルダン軍パイロットを殺害し、メッセージをインターネット上で拡散し、それによる戦略的利益を得た。

<イスラム国が成し遂げたこと>

イラクでは先月、2287人が殺害された。同時期にシリアや他の「対テロ戦争」地域で何人が犠牲になったのかは誰にも分からない。すべてがほとんど何も変わっていないようにも見える。だがイスラム国は、世界のメディアを巧みに操作してあのように身の毛もよだつような方法で3人の人質を殺害し、以下のような成果を上げた。

●イスラム国は米国の同盟国2国に屈辱を与えた。日本とヨルダンは共にイスラム国との交渉を模索したが、結果的に脆弱で無力であることが露呈した。

●だんまりを決め込んだ米国も、同盟国にとって無力であることが示された。 

●米国の主要なパートナーであるアラブ首長国連邦(UAE)は、昨年12月のヨルダン軍パイロットただ1人の拘束を受け、米国がイラク国内での捜索・救助態勢を強化するまで空爆作戦への参加を中断していることが明らかになった。これに対し、米国は対策強化を直ちに発表し、現場での人員を増強した。イスラム国との戦いは米国の作戦では決してないという疑わしい主張を維持するには、同盟国をゲームに参加させておくことは極めて重要だ。UAEが参加していても、米国が空爆の約8割を実施しているとみられる。

●日本とヨルダンの両政府は人質殺害を受けて報復を誓ったが、イスラム国との戦いという泥沼に足を踏み入れてしまった。一方、国内では米国の戦争とみられている戦いを支持することの妥当性をめぐる議論が表面化している。保守主義である日本の安倍晋三首相はこの機を逃さず、論議を呼んでいる日本の平和憲法の改正を遂行しようとしている。初めは血気にはやるものだ。報復の名の下で、さらに何人の自国民の死を容認できるかはまだ分からない。飛行服を着た男らしいイメージのヨルダン国王は、かつて同じように飛行服に身を包んだジョージ・W・ブッシュ元米国大統領と同じように映るのだろうか。

●ヨルダンはイスラム教スンニ派の女性死刑囚を処刑したが、同死刑囚は殉教者となり、彼女の大義に新たな声を与えたことになる。

●イスラム国は、果てしなく動き続けるエンジンのような報復のサイクルを新たにスタートさせることに成功した。限られた有志連合を束ねるのに苦労する米国は、この泥沼の深みにはまることを余儀なくされる。オバマ米大統領は、ヨルダンへの支援を年間6億6000万ドルから10億ドルに増額するとすでに発表している。

●イスラム国は野蛮極まりない映像を世界に流し、暴力的な聖戦主義を信奉する者たちに見せた。イスラム国の関心は、その映像を見て衝撃を受ける人ではなく、それを見て彼らの戦いに参加しようとする人にあるのだ。

<主義の戦い>

イスラム国はこれが「主義の戦い」であることを理解している。主義や思想は爆撃でダメージを受けることがないことも分かっている。そのような戦いでは、本質的に勝ち負けは存在しない。ただ壮大な戦いに苦しむだけだ。

フランスの風刺週間紙「シャルリエブド」襲撃事件の容疑者は、2011年に死亡した米国出身のイスラム教説教師アンワル・アウラキ容疑者の影響を受けたとみられている。アルカイダの勢力が低下したにもかかわらず、そこからイスラム国が分派している。死人がこの世のおぞましい行為に影響を与えているということは、イスラム国の戦闘員を駆り立てる本質的な考えに取り組まなければ、この問題は終わらないということを示している。  

<問われる米国の「テロとの戦い」>

ヨルダン以外のアラブ諸国の大半は、イスラム国が公開した映像に対し、断固たる態度は示すものの行動は起こさなかった。そもそもイスラム国への対応は依然として米国の手に委ねられているが、米国は自身の中東でのプレゼンスがまさに戦いの悪化を招いていることを理解しているようには見えない。

ロバート・ペイプ、ジェームズ・フェルドマンの両氏は、共著「Cutting the Fuse: The Explosion of Global Suicide Terrorism and How to Stop It(原題)」で、1980─2009年に中東で起きた2100回の自爆攻撃を調査し、その大半が米国による介入が動機であったと結論付けた。

米国の「テロとの戦い」の実績は悪い。イスラム国が公開した映像はそのことを改めて証明しているにすぎない。主義や思想を撃ち倒すことはできない。それに勝るもので負かすしかない。イスラム国は悪い考えがひどく効果的であることを証明してみせた。9・11(米同時多発攻撃)から13年以上が経過した今、米国側は何を示すべきかを問う必要がある。

*筆者は米国務省に24年間勤務。近著に「Ghosts of Tom Joad: A Story of the #99 Percent」など。

*本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
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記事もう一度言おう。「イスラム国」を「ISIL」と言い換える必要はない 2015.02.08 リテラ

一昨日、本サイトが配信した「本当にイスラム国をISILと呼ぶ必要があるのか!? 呼称問題を考える」に批判が殺到している。まあ、安倍親衛隊やネトウヨの「安倍さんが嫌いだからISILと呼びたくないだけだろう」などという言いがかりは放っておくとして、「関係ないイスラム教徒が差別されても平気なのか」「正式な国ではないのになぜ国扱いしたがるのか」などの批判にはもう一度きちんと答えておくべきだろう。

 まず、「イスラム国のせいで、関係ないイスラム教徒が差別、攻撃されている」という指摘は感情的には理解できる。だが、やはり問題の本質からはずれていると言わざるをえない。

 そもそも、イスラム国登場前から、ムスリムは攻撃され、迫害されていた。とくに9.11後のアメリカでは、イスラム教徒に対する偏見はたびたび問題になってきた。先日の、シャルリ襲撃事件後のフランスでも、ムスリムたちは自分たちへの偏見が助長されることを恐れていた。欧米だけではない。日本でも、イスラム諸国にまつわる事件が起きるたびに、イスラム教徒が偏見の目にさらされてきた。公安が国内のイスラム教徒の個人情報を流出させた事件は、2010年のことだ。イスラム国が成立する何年もまえに、イスラム教徒というだけで、テロリスト予備軍と見るような捜査方法が日本でもすでにまかりとおっていたのだ。

 イスラム国がイスラム教を代表しているわけではない、のは当たり前だ。しかし、問題の本質はイスラム国と関係ないのにイスラム教徒が攻撃されることではない。イスラム教であるという属性のみを理由に、イスラム教徒が攻撃されることがおかしいのだ。
あるイスラム教徒が犯罪を犯したからといって、ほかのイスラム教徒を攻撃する。あるイラン人が犯罪を犯した、ある韓国人、ある日本人が犯罪を犯したとして、すべてのイラン人すべての韓国人、すべての日本人を、攻撃する。それらはただの差別だ。

「一部の悪い人のせいで、関係ない人が差別される」とよくいうが、その差別は「一部の悪い人のせい」ではない。一部の行為をその属性だからといってほかの人間に当てはめること自体が差別だ。「一部の悪い人がいるから」「イスラム国という呼称があるから」とあたかも差別に理由があるかのような言説にくみしない。もともと自分たちがもっているイスラムに対する差別意識を、「イスラム国」という呼称のせいだと転化し、隠蔽すべきでない。

欧米でも日本でも、そうした差別や偏見に苦しみ、仕事や居場所のない、ムスリムがたくさんいる。その居場所のなさや絶望感に巧みに働きかけ、勧誘しているのが「イスラム国」だ。
 イスラム諸国の人たちや、日本在住のイスラム教徒の人たちが、この呼称について不快を表明しているという。

では、イスラム教徒がテロを起こしたとき、イスラム国と関係ないイスラム諸国で紛争が起きたとき、彼らがイスラム教を代表しているわけではないから、イスラムであることを報じるべきではないのだろうか。
たとえば、わたしたちはスノーデンが信仰する宗教も、コロンバイン事件の犯人の宗教も知らない。カトリックなのかプロテスタントなのか、プロテスタントだとしてその宗派、そもそもキリスト教なのかどうか、ことさら報じられることはない。信仰とまったく関係ない事件の場合に、わざわざイスラム教であると報じることは差別かもしれない。

 しかし中東をめぐるテロや紛争の背景はイスラム教と切り離して語ることはできないこれは、イスラム教の教義そのものがテロや戦争と関係しているという意味ではない。その歴史において、もちろん現在にいたっても、政治と宗教が分離していない以上、イスラム教の存在抜きに語るのは不可能だ。「イスラム国」にしても、イスラム教を代表しているわけではないが、その背景はイスラム抜きでは理解できない。
 
 自らを「国」と称していることも、同じだ。「イスラム国」はなぜ国を名乗っているのか。模擬的にせよ「国」という形態を形づくろうとしているのか。そのことを抜きに「イスラム国」問題を論じることはできない。既存のテロ組織と何がちがうのか、なぜ世界中の若者を引き寄せているのか、それはおそらく彼らが「国」を名乗っていることと無関係ではない。

こういうことをいうと、必ずイスラム国に理解を寄せるのかというヒステリックな批判が返ってくるが、これは擁護しているのではない。後藤さん、湯川さん殺害はもちろん、異教徒の虐殺も同性愛者の処刑も、女性の人身売買も言語道断の行為であり、とても許せるものではない。
しかし、ひどいことをしているから「国」でないというわけではない。「国」と認められているところだって、とてつもなくひどいことをしているケースはいくらでもある。イスラム国と同じように民衆を虐げているシリアのアサド政権だって、北朝鮮だって「国」だ。
 
 そして、アメリカや日本政府が「国として認めない」と声を荒げるとき、それは武力的な手段での解決とセットだ。ただの「テロ組織」にすぎないと思考停止し、問答無用で空爆するようなやり方で、「イスラム国」問題もそれ以外の中東をめぐる問題も解消されることはない。

 欧米の都合で国境線をひかれ、帰属意識を巧みに利用されながら意味のない戦いを戦わされる。アメリカがそのときどこの国を敵としているかによって、あるときはスポンサードされ武器を渡され、利用価値がなくなると攻撃の対象とされる。彼らには、「自分たちで選んだ国境線じゃない」というフラストレーションが根底にある。それは、いくらアメリカや日本が「国」と認めないといったところで、なくならない。仮に現在の「イスラム国」を武力で壊滅させることができたとして、このフラストレーションは解決しない。また似て非なる新たな何かができるだけだ。
 しかし、このフラストレーションの発露を、「国ごっこ」といってわたしたちは嘲笑うことができるだろうか。

「国ごっこ」をしているのは、日本だってアメリカだって同じだ。まるで「国」がなにか確固とした概念であるかのように語っているが、そんなものは幻想だ。島国という地理的条件もあり、現在多くの日本人は「国」というものを所与のもののように感じているかもしれないが、「国」などという概念はたいして古いものではない。近代になってつくられた、それこそ「想像の共同体」にすぎない。

「日本」という「国」も、決して最初から今の形だったわけでも、何千年の歴史を誇るものでもなく、ただのつくられた物語だ。ほんの200年ほど前に明治政府が国家神道なるフィクションをでっちあげ、「日本」「日本人」という統合理念をつくりあげたにすぎない。江戸時代以前に自分のことを日本人などという概念はなかった。

 絶対的な概念ではないからこそ、「国」と「国」の境界はかんたんにゆらぐ。実際「国」という単位より「イスラム」、あるいは「民族」「部族」により強い帰属意識を感じているという人は、中東やアフリカには少なくない。あるいは、スペインのカタルーニャも、イギリスのスコットランドも「国」という枠組みに強い帰属意識はないだろう。日本だって、沖縄の人がいまの日本政府にはたして帰属意識をもてるだろうか。※日本についての国という概念については、私はこの筆者と違う意見です。)
 
 お互い行ったこともないところに住み、会ったこともない人に、同じ国の「国民」という意識を植えつけていくのにかつて大きな役割を果たしたのは、新聞や小説、学校の教科書といった出版物だった。いまイスラム国がSNSを駆使して、世界中にちらばるイスラム教徒たちに「イスラム国」というフィクションを訴えかけているのと同じように。

そう考えると、イスラム国がほころびだらけの「国」などという文脈に乗っかっているのは滑稽かもしれない。しかし「国」が虚構であるからといって、無視できるものではない。

 実際、一方ではイスラム国を国としてとらえ、対処することを提唱している識者もいる。たとえば、北欧諸国政府の対テロリズムのコンサルタントを務める女性ジャーナリスト、ロレッタ・ナポリオーニ氏は『イスラム国  テロリストが国家をつくる時』(文藝春秋)でこう指摘している。
「彼らが好きなように中東の地図を書き換えてしまう前に国際社会に取り込み、国際法を守らせるほうが賢明ではあるまいか」

 この「イスラム国」という物語を、いくら他者が「認めない」とないことにしても、この物語じたいがもう力をもってしまっていて、消えることはない。欧米中心の社会で「イスラム国」という言葉だけを隠蔽したところで、この物語はなくならない。ますます力を強くする可能性もある。宣伝になるとして各国メディアが、イスラム国の動画を使用しないというのも同じだ。
 個人がISILと呼ぶことを否定するつもりはない。しかし少なくともわたしたちは、「イスラム国」という呼称を葬り去るのでなく、あるものとして対峙し、批判し続けたいと考えている。
波線転載END


技能実習生も国際貢献、テロとの戦いも国際貢献、いつから日本人は国政貢献が趣味になったのか知りませんが、私達日本人は本当に中東やアフリカのイスラムテロ組織と戦う覚悟があるのでしょうか?背景や歴史を日本国民が理解しているのでしょうか?欧米と違って、責任があるのでしょうか?

日本だけが受けている北朝鮮のテロや中国韓国からの攻撃を放置して、本当に国際貢献ばかりやりたがる理由は何なのか?

北朝鮮にすら手玉に取られている腑抜け状態の日本政府が、欧米の尻拭いに、大した見返りもないのに、喜んではるか遠くから参戦して当事者になり、いつ果てるともない壮大な泥沼に身を投じる、このことに大変不安を感じています。嫌がっている顔



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コメント

2. Re:イスラム国

>コゼツさん

コメントありがとうございました。

原爆を落とせという意見があるのですか?知りませんでした。

お互いの価値観を強制しようという戦いでもあり、解決策が無いのではないかと思ってしまいます。

世界の秩序が乱れて暴力がはびこる社会になってきたことを本当に恐ろしく思います。

1. イスラム国

ネットでイスラム国壊滅のために原爆を落とせという意見がありますが、誰の得にもならないからそれはしないのだと初めて理解できました。

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