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インドネシア:多数派イスラム教徒による不寛容の拡大 日本はムスリムとの共生が難しいことを知るべき

前々回の記事で、故郷をイスラム化する構想に取り憑かれた残念な集落に触れました。

重ねて残念なことは、押しかけて来られたのではなく、わざわざ呼び込んでいることです。

そして、彼らは将来モスクイスラム学校(マドラサ)も作るつもりであることがわかりました。

イスラム学校はモスクに併設されることも多いです。

 

インドネシアには一般の公立学校(スコラ)と宗教学校マドラサがあるようですが、PISA(国際学力調査)でインドネシアは相当低レベルの結果を出したようですから、どちらも何か問題があるのでしょう

 

磐田市の集落に来るのはインドネシア人一家ですから当然インドネシア人が集まってくるでしょう。

 

インドネシアは世界最大のイスラム教徒人口を抱えていて9割弱がムスリムです。

しかし、有名な仏教寺院遺跡「ボロブドゥール寺院」があることからもわかるように、13世紀にイスラム教が来るまではヒンドゥー、仏教などが先に入ってきていて、王国を作っていました。

 

ちなみに世界3大仏教遺跡とはボロブドゥール遺跡のほか、ミャンマーのバガンと、カンボジアのアンコールワットです。バガンは仏教寺院、アンコールワットはヒンドゥー寺院だったものが途中から仏教寺院になっています。

弁財天、大黒天、吉祥天などはヒンドゥー教の神様が仏教に取り入れられたもので、日本もヒンドゥーと仏教の影響を受けていると言えます。

 

2つの宗教は私の中では勝手に相性の良い宗教となっていて、近くに仏教寺院が無いときにはヒンドゥー寺院にお参りしていた時もあります。べーっだ!

 

私たち日本の社会もインドネシアの昔に信仰が似ていたということは興味深いことです。

(もちろんそれらの外来の宗教が来る前はそれぞれ土着の信仰があります)

 

そういうインドネシアでしたが、13世紀にイスラム文化・イスラム教が渡来して、北スマトラのアチェ地方に最初のイスラム小王国が現れました。アチェは現在インドネシアで唯一イスラム法(シャリーア)に基づく州条例を制定する自治権が認められています。

それからイスラム教徒の比率だけはどんどん増え続けて今は圧倒的な多数派となりました。

 

インドネシアは、建国当時は寛容、多様性を謳っていたのですが、最近は変わりました。

インドネシア各地で多数派イスラム教徒による「ごり押し、価値観の押し付け、不寛容」により異教徒迫害が増えていることを紹介した記事があります。左下矢印

クリップ「寛容の精神」誇るインドネシアで広がる深刻な分断 2019年6月24日 JBpres

 

母国内でも分断を起しているような人たちが大挙して日本に押し寄せていることを知り、本当は勘違いさせない、特別扱いしない対応をしなくてはいけないはずなのです。

 

ムスリムが多数派の国でどういうことが起きているのかを知らずに、その人達を呼び込むことの危険性は、この残念な集落だけでなく、「宗教」を軽く考える日本人が全く気付いていないことだと思います。

イスラム教徒は平均の2倍のスピードで増えます

移民を奨励すればもっと勢いは出ますので、大変な数になっていきます。

 

ダイヤグリーン

 

最近こういった記事を見たのでお勧めします。

オスマン帝国がキリスト教徒と共生できた理由

イスラム世界における共存と平等を読み解く

小笠原 弘幸 : 九州大学大学院准教授、中東工科大学客員准教授

 

右上矢印これはオスマン帝国のことを書いていて、イスラムに好意的です。

 

しかし、過去には『ムスリムと非ムスリムとの共存は、原則的にムスリムが優位であるという前提のもとに成立しえた』という記述があります。オスマン帝国が19世紀にはムスリムと非ムスリムの平等を打ち出し、そのまま衰退していくことも書かれています。もちろん終焉にはさまざまな要因がありますが、現在のトルコはイスラム化を進めていて、結局、ムスリムが多数派の中で彼らが優位でない世界が未だ無いという事実もわかるのです。

 

この中でイスラムは地域などにより違いがあり、ひとくくりには出来ないということを述べていて、全くその通りだと思います。しかし、アラビア語のコーランが正文であることから、自分たちに都合よく解釈したイスラムが唯一ではないわけで、穏健になろう、時代に合わせようとしても、原典に忠実であれと言う主張は一定の正統性と説得力を常に持ち、完全に全員で進歩することができない運命を持っていると思います。

 

今隣人でいる穏健で寛容なムスリムが、原理主義に負けてしまえば(と言うか狙われると負けてしまいます)、あっという間に非寛容で恐怖の地域に様変わりしてしまうということです。

 

その不安定さはやはりコーランから来ます。その逐語的な解釈を全体で止めてもらえない限り、非ムスリムは安心できないという気持ちは本能から出るどうにもならない不安です。

 

そのくらい難しいイスラム教徒との共生・共存なのです。

最初に上手くいったからずっとそのままの関係でいられるというようなものではないのです。

 

生まれつきで選べない、信者をやめられない、そういった宗教はそもそも人権侵害だと思います。

イスラムから他宗教への改宗、棄教は一般的にありません。

仏教や神道からイスラムへの改宗は簡単でも、逆が不可能で一方通行なのです。

イスラム教徒の子供は必ずイスラム教徒とされています。

信教の自由はムスリムになることの自由以外ないのです。

日本の法律が機能しないような事態が静かに広がっていくことをとても怖いと思っています。

 

 

参考まで!

 

なぜイスラム教では「宗教に強制なし」なのに「棄教=死刑」なのか?(飯山陽)

 

CINDY様の転載記事もどうぞ!

 

月刊WiLL1月号より 在日イスラム教徒17万人 お隣さんがイスラム教徒だったら①

月刊WiLL1月号より 在日イスラム教徒17万人 お隣さんがイスラム教徒だったら③​​​​​​​

 

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お知らせ

カキ氷 1~2週間お休みします。 

 

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